2010年08月28日

人の一生。繋がると、解ける。

人が生まれて知識を得ていくと言うことは、
周囲と繋がっていくということだ。

共通の情報を共有すると、
周囲との関係は強固になる。

秘密の情報を共有すると、
その関係はさらに繋がりを深くする。

そう言えば私も、中学や高校の頃は、
流行りの音楽やファッションに敏感だった。
仲良くしたい子には、秘密も話した。
それは仲間はずれにされない様にだったな。


情報は自分と人を繋ぐ手段である。

老化してその手段を忘れていくと言うことは、
周囲との繋がりが解けていくということだ。

それは孤独に向かって歩んで行くこと。
とても寂しいことなのだろう。


でも、きっと神様は優しい。

忘れていくと言うことは、
執着をなくしていくということだ。

何も知らずにこの世に生まれ、
そしてすべてを忘れて土に帰ってゆく。

きっとそれは幸せなことなんだと思う。



あるプエブロインディアンの老人の謳った詩が
紹介されていた。

今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。


posted by yukikinaco at 16:48| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月26日

日本人の見たい世界

今日から読み始めたのは、
大井 玄さんの「「痴呆老人」は何を見ているか」。


読みやすいし、かなりおもしろい。

痴呆老人と言われると、
もの忘れが酷く、会話が通じない人というイメージがある。

でも、会話が通じないのは、見えている世界が違うからだと言う。

彼らは「作り上げたバーチャルリアリティ」の中に生きている。
ヒトは見たいものを見ることができる。

実際、同じ病院の男性を旦那だと思い込んでいたり、
病院を会社だと思って振る舞う人もいる。

その人たちから見たら、
私たちが通じないと思った言動もつじつまが合うのだろう。

じゃあ、私たちはどんな世界を見たいと思って、今の世界を生きているだろうか。

内田 樹さんの「日本辺境論」にもあったが、
日本では自分がどうこうと言うより、
ヒトから見て自分はどう見えるかと言うことの方が重要だ。

周りの評価があって初めて自分はどうなのかと思う。
何か基準が無いと自分を形成できない。

日本人は、人と人の間に生きる民族だからである。


この本でも日本人の人と人との繋がりに対する意識の強さが伺える。
高齢者へのアンケートによると、
重度の痴呆になった時に、延命措置を拒否して尊厳死を望む理由の多くは、
周りの人に迷惑をかけたくないからだという。

私もそう思うと思う。

しかし、同じく状況でもアメリカの文献では、
もっぱら「自分の独立性、自律性を失うから」らしい。


人と人との繋がりを強く意識する日本人は
いったいどんなものを見たいと思って
今の世界に生きているのだろうか。




人がお金を払って、何かを購入する時、
それが自分の見たい世界をみせてくれるかが購入の基準になると思う。

今、日本でヒットしていものは
日本人が見たい世界を見せているのではないか。

考えがまとまらないまま、
書き綴っているため、多分意味不明の文章だが、
たぶんこのテーマは何かヒット商品を生み出すヒントになると思う。










posted by yukikinaco at 22:44| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

太陽に向かって伸びるキャベツにナウシカを思う

玉村豊男さんの「世界の野菜を旅する」を読み終えた。

一番印象に残ったのは、キャベツの起源についてだ。

キャベツはその昔、縦に伸びる植物だったらしい。
葉に太陽の光が当たると硬くなるので、
柔らかく食べやすい葉を作る為に、
人間が結球する形に品種改良をした。
レタスや白菜など、結球している野菜はすべてそうらしい。

私は単純におどろいた。
キャベツは昔から丸いのだと思っていた。
キャベツだけではない。
様々な野菜が昔と今では違う姿をしている。



最近、巷では野菜を食べるのがブームである。
蒸し野菜や、野菜たっぷりの鍋など、
自然の恵みを食べて健康的に!
ということなのだろう。

しかし、その自然の恵みは、
私たち人間の好みに合うように、私たち人間の祖先が作り変えたものだった。

それが悪いことではないと思うのだが、
私は考えてしまうのである。


ジブリの「風の谷のナウシカ」をマンガの7巻まで読まれた方はたくさんいるだろうか。
映画化されているのは、マンガの2巻までであるということは有名な話である。

私がマンガを最後まで読んで内容を理解したのは大学生のときであった。

それまでは、人が汚染してしまったもの、人が変えてしまったものは、
人が持つ最大の力、つまり科学の力を持って改善させるべきだと思っていた。

しかし、変えられたものに適応して生きてきたものは、それがもとに戻ることを望むのだろうか。

変えられたものをもとに戻すために
何か他のものが犠牲になりはしないだろうか。

そもそも、変えらたものはもとに戻りたいのだろうか。
それがそれにとって好ましくない変化だったとしても。

人は人の利益の為に変えてしまったものに対して、
何が出来るのだろう。

どうするべきなのか、私にはまだわからない。


ナウシカは、
たとえ変わってしまったとしてもそれが私だから、
私は生きると言う。
変えられることは望まない。




キャベツだってもうきっと、
上に向かって伸びていたことなんで覚えていないだろう。

でも私は考えてしまうのである。
キャベツだって太陽に向かって伸びたいと思う時があるのではないかと。






ラベル:野菜
posted by yukikinaco at 19:24| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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